古代電池
2009/11/15
●不思議な破片
1937年、イラク国立博物館研究所に、奇妙な小壷が送られてきた。
バグダッド南西郊外クジュトラブア丘の古代パルティア遺跡から発見されたものだった。
当時研究所の責任者だったドイツ人考古学者ウィルヘム・ケーニッヒ博士は、それの不思議な構造に興味をそそられた。
それは、下記のような特徴を備えていた。
- 明るい黄色粘土で作成されている
- 花瓶のような形
- 高さ15センチほど
- 中にアスファルト残留物
- しっかり固定された銅製の円筒形物体(長さ10センチ、直径2.6センチほど)
- その中に腐食の激しい鉄棒が一本入っていた
近くの古代都市セレウキアからも、同様のものが4個発掘されていた。
考古学者が「魔術師の小屋」と呼んでいる場所から出土されたのだ。
ここでは、細長い鉄と青銅の棒も何本か発掘されていた。
●失われた技術
調査・検討の結果、「電池」であるという結論に至った。
- 銅の円筒は一枚の銅版を巻いたもの
- その接合部は現代のはんだ付けそっくり
- 底部は銅円盤で塞がれていた
- 底面の上にはアスファルトが溜まっていた
- 腐食した鉄棒は垂直に宙吊りされ、周囲の銅に触れないようアスファルトで固定されていた
- これら装置全体が壺の中に固定されていた
鉄棒は、硫酸・酢酸・クエン酸などの当時存在した電解液で腐食したものと思われる。
後に、同じ構造部品が10個分ほど発掘されていたことも明らかになった。
これらの部品は、ベルリン博物館に陳列されている。
この推論は後の研究者たちによって立証された。
この壺のレプリカを作成し稼動させたところ、1.5~2Vの電気発生が認められたのだ。
細長い鉄と青銅の棒も発掘されていたことから、これらは電池同士を接続するためのものと推測された。
恐らく、メッキに使用されたものと思われる。
事実、複製した壺電池で見事な金メッキに成功している。
スフィンクス遺跡付近地下からも、メッキでしか説明できないほど極薄の金箔をかぶせた工芸品が発掘されている。
面白いことに、現代のバグダッドにも同様の電解槽を利用して仕事をしている金属細工職人がいる。
しかもそれは、ヴォルタが電池を発明する18世紀以前から存在していたらしいのだ。
こうした技術はシュメール文明にまで遡るという。
彼らはいったどこから、この技術を継承してきたのだろうか。
●反対説
ところが、電池ではないという見方もあるので、紹介しておく。
内部の電解液"の存在自体が仮説であり、唯一の根拠となる鉄の棒が酸化して腐っていたという事実は、雨水などの土中水分の浸食で鉄を腐らせたと考えたほうが自然である。
成功したといわれる実験では、入り口をアスファルトで塞がない"改造レプリカ"が使用されてしまっている。
アスファルトの詰め物で銅容器ごと封印した場合、酸素の供給が取れず、電気回路自体を形成することができず、電池として使用できない。
また、「古代の電池」の使用を裏付けるような外的事実も見つかっていない。
実際には当時の金メッキは、水銀を混ぜて行なう無電解のアマルガム法や、金箔を打ち付ける方法で行なわれていたことが判明している。
バグダッドはおろか近代以前の世界のどこにも、電気利用に結びつくような技術の痕跡はまったく見つかっていない。
壷本体の様式はパルティア時代のものではなく、次代のササン朝(AD226年~AD651年)の様式である。
ではこの壷は何だったかのか。
重要な巻物を保管しておくための容器だったのだ。
クテシフォンで見つかっていた壷は、アスファルトの封印の下に、パピルスと青銅から成るスパイラル状のパーツを納めていた。
パピルスと青銅製の薄いシートを一緒にぐるぐるとくるめた物体、それは巻物としか解釈のしようがない。
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