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人魚

2013/01/13

●富士のミイラ

 富士山ろく富士宮市の某宗教団体の本部には、日本最大・最古の人魚のミイラがある。
 一般的に、人魚にまつわる伝説は以下の通りだ。
  • 肉を食うと千年生きられる
  • 出現は吉兆・不吉だ
  • 歌声に誘われて水中に引き込まれる
  • ヒバリや鹿のような声で鳴く
  • 鱗は金色に輝く
  • とてもよい香りがする
 該当のミイラは、およそ1400年前のもの。
  • 見開かれた目
  • 体長170Cm程度
  • 頭が異様に大きい
  • 開かれた口は水中で生活していた痕跡を残す
  • 眉間から鼻にかけて繊毛が生えている
  • 頭髪はない
  • 指には鋭利な爪・水かきがついている
  • 20Cm程の尾びれがついている
  • 下半身は魚類の骨と同等
  • 上半身の骨は確定できない
  • いたるところに虫食いの跡がある
     
 上記のような特徴を備えていた。
 
 このミイラに関して、1400年ほど前の伝説が残されている。
 聖徳太子が琵琶湖のそばを通りかかると、醜い人魚が湖上に現れ、大声で懺悔したという。
 「私は漁を生業としておりましたが、ここは殺生禁断の地。この罪により罰を受けてこんな姿になってしまいました。しかし今、太子の法戒を受けて殺生の恐ろしさをしみじみ知りました。来世まで、私の醜い姿を残していただいて、殺生戒という仏戒を伝えるために末永くこの事実を語り、後生役立てていただきたい」
 そう言い残して、人魚は昇天したという。
 太子はその通りにして間もなく寺を去ったが、種々の怪異が起こり、寺は人魚のミイラを人手に渡した。
 その後ミイラは、岩国→但馬→播磨→富士山ろくと渡り歩いたことになっている。

●ハーバード大の半魚人


 海外にも、人魚(半魚人)のミイラがある。
 アメリカ・ボストンのハーバード大に保存される非公開のミイラは、以下の特徴を備える。
  • 体長はおよそ50Cm
  • 長い首
  • 鋭利な歯を剥き出しにした顔
  • 腰から下が魚
 この大学のスワット教授いわく。
「この半魚人は本物だとは思わないが、太古の昔、想像を超える生物がいたことを否定することは出来ない」

●幻の人魚


 橋本市の私立郷土資料館にも、人魚のミイラが保存されている。
 特徴は以下の通りだ。
  • 体長約50Cm
  • 大きく開かれた口からは牙のような歯が覗いている
  • 両手を頬にあてがっている
  • 下半身は鱗に覆われている
  • 胸にはヒレのようなものが残っている
  • 乳首のような突起物がある
 「この人魚は推古天皇の時代に滋賀県で捕らえられたもの」と書かれた大正13年の「人魚の伝説及び仁徳寺の由緒記」が残されている。
 それ以外の記録は残されていない。
 しかし、口伝で伝えられている「刈萓物語」という説話が残されていた。
 平安時代末期、福岡領主加藤左衛門繁氏は父の旧友の遺児・千里(女)を引き取った。
 加藤には妻が居たが、しだいに千里に惹かれていった。
 が、自分の罪深さを悔い、「刈萓道心」と改名し出家してしまう。
 その直後、千里は男児を出産。
 父親の幼名を取って石童丸と名づけ、親子の名乗りの出来る日を夢見た。
 14の時、父の所在を風の噂に聞いた石童丸は千里とともに父に会いに行くが、その地は女人禁制。
 母を麓の町に残し、道行く修行僧に父を尋ね、身の上を話した。
 するその僧は「その方はすでにこの世の人ではない」と言い渡された。
 しかしその修行僧こそが、断腸の思いで親子の名乗りを思いとどまった、刈萓道心だったのだ。
 落胆する石童丸が町に戻って見たものは、急病で亡くなった母の亡骸だった。
 石童丸は山に戻り、刈萓道心の弟子になったが、生涯親子の名乗りをあげることはなかったという。
 千里がいつも傍らに置き、崇めていたものがこの人魚のミイラだという。
 その祈りは届かなかったのだろうか・・・・。

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