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ねずみ男!?

2016/05/15

★ねずみ男!?
体験者:どらさん

あれは確か、小学校の2年生位だったと思う。
当時浜松市に住んでいた私は、春夏冬の長期の休みには、父の実家、袋井市へ遊びに行くのが恒例のことだった。
父の実家にいる間は、同い歳の従兄弟Tと、近所に住む子供たちと遊ぶことが多かった。
いつものように原野谷川の土手で遊び、昼時になったので友達と別れ、従兄弟路祖父の家に戻った。
普段袋井に住んでいない私にとって、父の実家は興味深いものが多かった。
その一つに家の裏にある車庫兼用の倉庫だった。

ほとんど車庫としては使われず、窓際にはいくつもの小さな鳥籠と、金網が張られた大きな鶏小屋があった。
籠には文鳥が、そして小屋には何種類ものインコがいたし、初めて身近に「ポンポン」を見たのも、この小屋の中が初めてだった。
従兄弟から「ポンポン」と聞かされていたので、オートバイとは別のものだと思ったのだ。
故に、かなり時間が経つまで、ホンダのカブ=ポンポンで、オートバイとは別のものだと思っていた。
釣り竿に、虫取り編みもこの小屋の中にあったし、兼業農家をしていたので色々な耕作機器も小型のものは、この小屋の中にあった。
奥には、大型の米櫃のようなものがあり、天井まで届く大きさだったので、およそ二メートルほどか。

倉庫は途中で増築したせいか、奥に行くと光があまり届かない。
もちろん、入り口の戸は、車を入れるために左右一杯まで開くので、開ければ光も射し込むのだが、建て付けが悪く、戸が重いので、普段は右半分だけを開けていたのでそう感じたのかもしれない。
裸電球だが電気もあったが、配電盤を触るなと言われていたので、子供らで入るときに、電球に火を点すことは無かった。
故に手前の部屋(鶏小屋付近に窓があったと記憶)と、奥の部屋の右半分はある程度、陽も射し込むが、部屋の中程にある仕切り(単に荷物だったのかもしれない)のため、奥の部屋の左半分には何があったのかも定かではない。
いずれにしても、その金属製の米櫃のようなもの(外観はサイロのよう)の奥は壁であり、それより先は無い。
釣り竿や、網はその手前の壁に立て掛けられていた。

いつものように必要なものを取りに、倉庫に入る。
もちろん従兄弟のTと二人でだ。
「Y、ちゃんと片づけなきゃ駄目だぞ」と壁がしゃべった。
祖父の声だ。
祖父は仕事か畑か、はたまた田圃かは知らないが、出かけているはずだし車もない。
いつの間に帰ったんだろうかと、思いつつ「うん」と返事をして顎をあげると、思わず腰が砕けた。
Tを前に押し出すように後ずさる(人間ってのは、こういう時に本性が出る)。

米櫃の後ろ(改めて言うが、米櫃の後ろは壁である)から、乗り出すようにして、大きなネズミが、顔と体しか見えないのだが、明らかに祖父より一回りも大きい
が、声は祖父である。頭が白くなった。祖父は喰われたのか!?
周章てて倉庫から飛び出す。
駐車場を横切り、縁台から家に入ろうとするが、窓に鍵がかかっている。
駐車場の門は、柵が閉まっていたので、道路に出るのをやめて、家の周りを回って、玄関に回ると家に駆け込んだ。
Tの姉のYが、「どうしたの?」と声をかけてくるが、怖くて声が出ない。
その晩、祖父はいつもと同じ時間に帰ってきた。
誓って言うが、厳格ではあるが、そのようなふざけたことはしない人である。
では、昼に見たあれはいったい何だったのだろう?
後年、小学校の高学年になった頃、その話が従兄弟と話している家に出て、話に花を咲かせた。
さらに数年後、今度は私がTに聞くと、「そんなことよく覚えているなぁ」と記憶が曖昧になっていると正直に言った。

祖父が亡くなったのは、高校一年の時だ。
通夜の席で、子供の頃の話に花が咲く。
改めてTに聞くと覚えていないという。
すべては夢だったのか?
私がTに聞いたと言うこと自体が夢だったのか?
祖父の没後、地元の名族として知られた、我が一族にも、凋落の日が訪れたようだ。
あのネズミは、もしかすると祖父とともに、我が族を去った"座敷童"、"倉ぼっこ"のたぐいであったのかもしれない。

たきおんコメント
これは珍しく、妖怪の類かな。
歴史を背負った蔵に住み着いた何者か。
あるいは、幻想と偶然の産物か。
一族の徳を失ったから彼が去っていったのか、はたまた彼が去っていったから凋落の日がやってきたのか・・・・。

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